三国志のあらすじ

ここでは中国の歴史の物語「三国志」のあらすじを紹介していきます!
「三国志」はゲームや本でよく耳にするとは思いますが、詳しい内容を知っている方は少ないと思います。
三国志の事を良く知らないかたは是非ごらんになってください!
しかし横山三国志(横山光輝氏が執筆の漫画の三国志)しか読んだことがない管理人のできる範囲での説明ですので、
興味をそそった方は小説等も読んでみてください・・・
それと、全て紹介してしまうといざあなた方が三国志を読もうとしても話の展開がわかってしまうので、
少々荒削りになることをお許し下さい。


この三国志というのは中国の3世紀ごろの歴史の話で、そのころの中国は曹操(そうそう)の治める魏(ぎ)・
孫権(そんけん)の治める呉(ご)・劉備(りゅうび)の治める蜀(しょく)・この三国にわかれていた。
そして彼らが中国を統一するために戦うというお話なんですが、この説明だけでは「何でそうなったんだ?」とか
「結局誰が勝ったんだよ?」と思う方が多数でしょう。それでは本格的に説明していきたいです!!!


2世紀の後半、当時中国を治めていた漢は滅びかけていた。

当時の皇帝が幼いのを良いことにその重臣達が自分たちで好き勝手な政治を行っていたのである。

ついに黄巾族の乱が起きる。

彼らは黄色い布で髪をまとめていたから黄巾族という。

彼らは元々世の中を立て直す為に立ち上がったのだが、良民を殺したり略奪を行ったりとやりたい放題であった。

その乱は義勇軍を組んで戦った劉備・関羽・張飛三兄弟や官軍(朝廷の軍)の曹操の活躍によって平定される。

しかし、また世の中は宦官政治で乱れてしまう。

その混乱に乗じて董卓が上京し、彼が朝廷を牛耳るようになる。

しかし、董卓は部下の呂布に裏切られ殺される。

その後、皇帝を迎え入れ力を持った曹操と呂布が対立するが曹操が勝ち、呂布は捕らえられ殺される。

今度は曹操が朝廷を牛耳るようになり、朝廷の忠臣・董承が曹操暗殺を計画し、劉備も参加する。

しかし事は事前に漏れ董承は処刑され、劉備も追われる身となり関羽・張飛とも離れ離れになってしまう。

関羽は曹操に捕らえられ、気に入られるが劉備が生きていることを知るないなや千里の道を駆け、劉備の元に戻る。

張飛とも合流する。

曹操は官渡の戦いで袁紹を破り、魏の礎を作り勢力を拡大するため荊州を攻めてきた。

劉備は諸葛亮孔明を軍師として迎え、呉の孫権と手を組む。

曹操は赤壁で諸葛亮と呉の周喩の進言した火攻めにより大敗する。

劉備は馬良の進言により荊州の内、南の4郡を取る。

さらにホウ統を副軍師として迎え、彼の案で蜀(益州)を取りに行く。

ホウ統は落鳳破で矢を受けて戦死するが、諸葛亮の策により蜀を取るのに成功する。

さらに曹操の支配下にあった漢中を攻め落とし、劉備は漢中王となる。

これに怒った曹操は呉と手を組み関羽が守っていた荊州を攻める。

関羽の奮戦も空しく荊州は呉によって取られ、関羽は処刑される。

その後曹操も持病の頭痛が悪化して死ぬ。

劉備は関羽の仇討ちのため諸葛亮達の反対を押し切り呉を攻める。

最初は連戦連勝だったが、夷陵にて呉の陸遜の火攻めに合い大敗してしまう。

劉備は白帝城まで落ち延びるが、そこで病死してしまう。

劉備の意志を継いだ諸葛亮は、まず南蛮での反乱を抑える。

その後、魏を攻めるべく北伐を行う。だが街亭の戦いで部下の馬ショクが命令違反をしたため

負けてしまう。その後も諸葛亮は北伐を続けるが魏の司馬イ仲達の策略によってなかなか勝てない。

しかも諸葛亮は今までの無理がたたって病気が悪化してしまう。

そして、五丈原で病死してしまう。蜀は諸葛亮が生前に残した策を使って退却する。

その後、諸葛亮の意志を継いだ姜維が北伐を行うが魏には勝てない。

その頃の蜀は宦官政治で乱れ、兵たちもすっかり弱まってしまっていたのである。

姜維は剣閣に立てこもり魏に一歩も譲らない戦いをするが、

魏のトウガイが蜀に侵入して、皇帝の劉禅はあっさり降伏してしまい、蜀は滅亡する。

しかしその頃の魏は司馬一族が力を持ち、魏を牛耳るようになっていた。

その後、魏は司馬一族が立てた王朝・晋によって滅ぼされ、

数年後には暴虐政治で乱れていた呉をも攻め滅ぼす。

当時の中国は魏・呉・蜀のいずれかではなく、新王朝・晋によって統一されたのであった。



戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送